達人のサイエンス: 真の自己成長のために
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気になった箇所
P73「書道を研究すると、それほど器用ではない人が一流の書家になっていることに気づくだろう。かなり器用な人は、ある段階に達すると大きな壁にぶつかることが多い。これは芸術であれ人生であれ、同じことだ。」
P74「学習の本質的な部分は、学習者と教える側との相互作用から成り立っており、その効果は相互作用の回数、しつ、種類、強さに関係しているからだ。
P75「本の場合は読み進むペースを自分で設定できるし、どこにでも手軽に持っていける。(中略)優れた文章の方が幾千の写真よりも個人や世界を変革する力となる場合もあるのだ。」
P76「達人の教師とは必ずしも最高に洗練された授業ができる教師ではなく、むしろ教えていく過程で「どうしたら生徒にやる気を起こさせることができるか」を知っている教師なのである。」
P77「教師との適切な心理的距離を保つことも大切だ。離れすぎると達人の旅の要素である「自己を明け渡す」機会が失われるし、近づき過ぎれば全ての視野が失われ、生徒ではなく弟子になってしまう。適切なバランスを維持する責任は、教師だけでなく生徒の側にもある。そして先生との間にどうしようもなく食い違いができてしまったならば、その教師の元を去る時期が来たと思うのが賢明だ。」
P79「「practice」とは「道」である。(中略)だが、マスターの旅をしているものにとってpracticeという単語は、動詞ではなく、自分には「〇〇がある(have)」あるいは自分は「〇〇である(is)」とう場合の「〇〇」に当たる名詞としての意味が一番ピントくる。
P81「「達人」と「達人の道」とは一つのものなのだ。達人の道を旅するものが幸運であれば、この旅人が1マイル進めば目的地は2マイル遠ざかる。」
P82「達人の秘密は他にもある。達人といわれる人は、事故の技量を伸ばすことだけが目的で何かの技能に専念するのではない。本当は、彼らはまず何より練習(practice)が好きなのであって、その結果、上達は後からついてくるのだ。そして上達すればするほど基本の動きを繰り返すの楽しくなる、というサイクルができ上がる。」
P83「昔の武道には次のような言い伝えがある。「達人とは誰よりも、毎日5分でも長く畳の上にいる者だ。」」
P87「練習することが生活のメインになる日が必ずやってくる。時の経過や世界の騒がしい動きに関与せず、安楽椅子に腰を下ろすように、練習を安らぎと思えるようになる。」
P90「実際、本当に退屈な状態は、むしろ新しいものをしつこく追求したりする場合にやってくる。そして満ち足りた気分が生じるのは、すでによく知っているテーマを慎重に繰り返し習得し、その微妙な違いの中に無限の意味を発見した時なのである。」
P107 「達人と呼ばれるものたちはほとんど例外なく、自分の転職についてはその基礎に忠実である。彼らは練習の虫で、新たに小さなステップを踏み出すのに極めてうるさい。それでいてーこれがパラドックスだ=彼らは過去の限界にチャレンジしようとする傾向が強く、上達のためには危険をも厭わず、その追求のためにオブセッシブになることすらある。」